実際の子どもたちの避難の方法
子どもたちから地震の時の話を聞き取った中に、避難のことについての話も多くありました。当時、生徒たちは本当に広い学校の校地内にてんでんばらばらにいた状況で、体育館から教室から、それぞれの判断でお互いに声を掛け合って、避難行動を開始しました。その時に先生方はどうしたのかというと、当時の副校長先生のお話ですと、職員室にいて、机の下に潜った後、全校に避難指示を出そうと思ったら、すでに放送も使えなかったという状態だったようです。放送もない中で、先生や生徒たちは声を掛け合って、訓練でやっていたように点呼を取るために外に集まってきていたのですが、その時、副校長先生は、点呼を取らずに第一避難場所に行くように指示を出しました。なぜそういうことをしたかというと、以前から防災教育を学んでいたので、この地域には津波が30分ぐらいで来るだろうと考え、既にもう10何分かたっていて、この後避難にどれぐらいかかるかを逆算して、ここで点呼を取っていたら間に合わないと判断したそうです。子どもたちや先生方はまず、第一避難場所の「ございしょの里」という所に行き、そこで小学生たちと合流したのですが、土砂崩れが起きており、地域の方もこういうのは見たことがないということで、さらに高い所の第二避難場所を目指して避難しました。ちょうど避難し終わるかどうかというまさにその時に津波が襲ってきたそうです。
ある女生徒の話ですが、自分たちより後ろから来ていた中学校3年生たちが自分たちを抜いて高台に走っていくのを見て、ハッと後ろを振り向いたら向こうに津波が来ていて、自分たちより後ろにまだ保育園の先生や子どもたち、小学生もいたのが見えたそうです。その子は「今なら下がっても間に合う」と判断して、下に下りて行って保育園の先生から子どもを預かって、抱きかかえてさらに高い所を目指して走ったと言っていました。そこは、かなりの急勾配の坂で、自分より体力がありそうな、よく知っているお父さんがいたので、その人にこの子を預けた方がいいと思って、「この子をお願いします」と預けて、自分は自分でまたさらに高い所を目指して避難したそうで、本当に間一髪のところを避難して逃げ切ったということでした。当時「津波の時はてんでんこ」ということも学習してはいたのですが、その生徒は一瞬下に戻って子どもを助けに行きました。その時は、今なら下にちょっと降りても自分も大丈夫だと判断して、少しでも助けようと思ったと話していました。
この「てんでんこ」というのは、この地域、三陸の地方の言い伝えで、津波の恐れがあるときは、お互いを信頼し合って、それぞれがそれぞれで逃げて、後でお互いに安否を確認し合うということで、みんな常日頃から心に留めている言葉です。
防災学習 EAST-レスキュー
釜石東中学校では、震災前に全校で「EAST-レスキュー」いう名前の学習に取り組んでいました。このEASTというのは釜石東の東で、Eは東のEAST、AはASSISTで助ける、SはSTUDY勉強する、TはTUNAMIです。「津波について学習して手助けできる人になろう」というメッセージを込めて、「EAST-レスキュー」という名前の学習に取り組んでいました。
この学習では、狙いを3つ定めていました。1つ目は、まずは自分の命を自分で守る。2つ目は中学生ということもあるので、家族や地域社会の一員として自覚を持って行動できる生徒を目標にしており、「助けられる人から助ける人へ」ということ。そして3つ目は、地域に伝わる災害や防災の文化を継承していくことを狙いとして掲げていました。
具体的にやったことはいろいろありますが、代表的なものをご紹介させていただくと、例えば鵜住居小学校というのが目の前にありましたので、それまでバラバラでやっていた避難訓練を小中合同で行いました。中学生は小学生を手助けしたり、けが人がいたらリヤカーを出して乗せて行ったりしながら、合同訓練をしたり、あとは「防災ボランティースト」という名前で、釜石東中学校の生徒は3年生をリーダーにグループを作って、地域の防災活動のために何ができるか、自分たちで取り組むということをやっていました。例えば消防団の人たちと火を消す訓練をしたり、日赤の人と炊き出し訓練や応急手当をやってみたり、地域の自主防災組織の方々と共に津波記念碑の周りを掃除したり、地域で何ができるかを考えて、さまざまな取り組みをしていました。中学生にできることはたくさんありますし、将来大人になった時に、地域の防災に関わっていくような態度も身に付けられればということで具体的な活動を行っていました。その中で当時中学2年生の女の子が出したアイデアに「安否札」というのがありました。「私の家は避難しました」という札を家に掲げれば、その家は避難したということが分かるのでいいのではないかということで、そのアイデアを取り上げた活動も防災ボランティーストの中に入れてありました。この「安否札」のアイデアが出された次の年には、全校で1000軒に配ろうということで配布もしました。
「てんでんこ」をテーマにフィールドワーク
私が担当していた1年生では、「てんでんこ」というのをテーマにして、それまで経験のない津波を体感したり、地域のフィールドワークをしたり、学んだことを広めようということで活動しました。例えば地域の津波の高さを調べて、実際に来た津波の高さを体感するために、校舎の4階に大きな矢印を掲げて実際の津波の高さを体感したり、起震車で揺れを経験したり、津波の速さを実感するためのフィールドワークもしました。
この地域の津波は、気象庁の資料によると沿岸部では時速36キロということですので、私が津波役になって、校庭に車を持ち込んで「津波が来たぞー」と声を掛けて、時速36キロで走ると、生徒はいろんな方法を考えて避難をしました。車で、時速36キロというのは遅く感じるかもしれませんが、実際には、100メートルを10秒で走るということです。
実際にやってみて、生徒はいろいろなことを感じたと言っていました。例えば、カバンなどを背負って走っていると、カバンが揺れてなかなか走れません。この体験から、「いざというときには物なんか持って走れないよね」ということを自分たちで実感することができました。そこで、震災の時に実際に「物なんか持つんじゃない」という知恵が働いて、声を掛けることができたということも話していました。