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防災インタビューVol.177

気象予報士から見た防災

放送月:2020年6月
公開月:2020年10月

半井 小絵 氏

気象予報士 女優
NPO火山防災推進機構 客員研究員

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

2度の大震災を経験して

阪神淡路大震災が起きた時、私は兵庫県伊丹市に住んでいました。1995年1月17日、寒い寒い朝、明け方の5時46分にドンと突き上げられる揺れで体が宙に浮いた瞬間に目覚めました。後から伊丹の震度を調べましたら、6強が最大だったのですが、震度6強になると体がドンと浮くのです。その後ベッドにしがみつかないといけないぐらいひどい横揺れが来ました。直下型の地震というのはまず縦揺れが来て、激しい横揺れということが多いのですが、まさしく阪神淡路大震災はそのような地震でした。

かなり長い時間地震が続いていたように感じました。ベッドから突き上げられて体が宙に浮いていた時間は30秒くらいあったように感じたのですが、多分実際には、一瞬の事だったと思います。私は過去に自転車に乗っていて転んだ時がありましたが、その時に景色がスローモーションに見えました。それと同じようにあの時、ドンと突き上げられて宙に浮いて目覚めた瞬間、ゆっくりゆっくり私の記憶では30秒ぐらいかけてベッドに落ちた感じがしました。家は飾り柱が倒れて、一部損壊のような状況で、部屋の中はぐちゃぐちゃで、ガラス製品はほぼ全て割れており、ベッドが部屋の真ん中まで移動して、重いピアノも1メートルくらい動いていました。私は目が悪くて普段外に出る時はコンタクトレンズをしていますが、家ではメガネをかけています。メガネがないと字も読めないくらい目が悪いのですが、この地震の時はメガネがどこかに飛んでいってしまって、どこに行ったかも分かりませんでした。割れたものが自分の部屋に散乱している中を、とにかく家族がいるリビングまで、自分の家の中だったのでメガネなしでもなんとかたどり着きましたが、明るくなるまでメガネを探しだすことはできませんでした。この日は、自分の家だったから良かったですが、これがもし出張先であったり、知らない場所でメガネがなくなって、逃げなければならないとすると本当に恐ろしいだろうと思います。

私は、2011年の東日本大震災も東京で経験しました。ちょうどNHKの放送局にいたときに地震が起こったのですが、非常にすごい地震で、私が感じたのは、「ものすごく地震の時間が長いな」ということでした。大きくゆっくり揺れるというのは遠くで大きな地震が起こった時の揺れで、直下型の地震とは揺れが違うので、直下型の地震ではないことはすぐに分かりましたが、みんなはその揺れ方にすごく不安がっていました。東京では建物は倒れることはないけれど、大きく酔ってしまうぐらいの揺れだったので、私自身は「ああ、これは遠くで大きな地震があったな」と直感しました。

東日本大震災のように海底で地震が起こった場合は、津波の恐れがあるので、注意報、警報も出ますが、場所によっては地震の直後に津波が押し寄せて来てしまう恐れもあります。大きな地震を感じたら、地震の後、沿岸の方はすぐに高台に逃げるようにしていただければと思います。

災害時における自衛隊の活動

私が阪神淡路大震災で被災した時には、自衛隊に給水してもらいました。その時のありがたさというのが忘れられないのですが、やはり災害が起こると頼りになる自衛隊の方には、感謝の気持ちしかありません。最近防災の講演を自衛隊でもさせていただくことがありまして、航空自衛隊の美保基地に伺いました。その時に突然サイレンが鳴りました。何が起こったのかと思ったら、島根県の離島に病人が出て搬送しなければならないということで自衛隊のヘリコプターが飛び立っていきました。普段は島根県のドクターヘリが来て搬送するのですが、その時は全て出払っていて、自衛隊のヘリが出動していきました。1年間に何件もこのようなことがあるようで、災害時だけでなく普段からも救援活動をされている様子を間近で拝見しました。

2019年8月に佐賀県で大雨があった時にも、鉄工所から大量の油が流出したことがありました。佐賀で救援活動をされた自衛隊員にお話を伺ったのですが、何かあった際にすぐ救援に駆け付けるファーストフォースという部隊が佐賀県武雄市にすぐ出動し、胸まで水に浸かって人命救助をして30名ほどを助けられたそうです。その救助が終わるやいなや、次は油の回収作業に合流されたそうです。油の回収作業をされた方の話ですと、船に乗って油シートを回収するための運搬を担当していたそうで、油の臭いというのはものすごい臭いで、最初はとても気になったけれども、作業をしているうちにその臭いが当たり前になって気にならなくなったということです。作業の後は、お風呂にゆっくり入れるかというと任務中は入れないそうで、お風呂も入らずに何日も作業し、ようやく任務が終了してからお風呂にゆっくり入ったという話を聞いて、自衛官の方に「大変ですね」と声を掛けると、「任務ですから」と言われました。あまりにもすがすがしく、凛とされていて、しかも笑顔で答えられている姿を目にして、さらに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

災害時にいち早く救助に向かってくださって、命を救ってくれるのは自衛隊だけではなく、消防、警察もそうです。本当に命を懸けて私たちを救ってくださる方というのは心から尊敬します。現在は医療現場の方も新型コロナウイルスで大変な思いをされています。今回の非常事態宣言の時、私は外出できないので宅配を頼むと、宅配業者の方が荷物を届けてくださって、普段だと当たり前のように荷物を受け取っているのですが、この時は、こんな危険な状況の中でも荷物を届けてくれることに感謝の気持ちが沸き上がってきました。人のことを思いやる気持ち、感謝する気持ちを持って、一人一人が周りの人のことを考えて行動することがとても大事だということが、今回のことで非常によく分かりました。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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