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防災インタビューVol.178

災害看護におけるケア

放送月:2020年7月
公開月:2020年11月

神原 咲子 氏

高知県立大学
災害看護グローバルリーダー養成プログラム教授

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

セルフケア(自助)とプライマリーヘルスケア(共助)

災害時のケアの面から言うと、自助はセルフケア、共助がプライマリーヘルスケア、公助がいわゆる公衆衛生、パブリックヘルス、保健所がやっているような機能に当たります。地域保健法の公助の部分で言うと、平時の公衆保健や老人保健、感染症対策や上下水道、生活環境支援に関するものが保健所業務で、災害の時にはここが地域社会の中で脅かされるので、地域対応するのが公助の公衆衛生対策やパブリックヘルス対策になります。

一方で自助の部分というのは、自分自身で病院や避難所に行ったり、自分の衛生に注意し、健康を保つことがセルフケアです。共助の部分が、プライマリーヘルスケアになります。これは、今は日本ではあまり見られなくなってきていますが、昔は健康推進員や民生委員が地域活動として、健康推進をしていました。今は都市化が進み、保健所の業務も変わってきた関係でこの地域活動は少なくなってきています。しかし、発展途上国に行くと地域の中に限られた予算があって、その中でその村の人たちの健康を守るために優先順位を付けて、何をするかを考えて実行しています。例えば子どものワクチンをしようとか、母子保健の健康診断を強化しようということで自主的に行って、村で共助的に健康を守っている活動です。

災害の時には避難所の状況というのがまさにそういう形になるのですが、日頃プライマリーヘルスケア、共助の健康を守る活動をあまり地域で意識してやっていないものですから、それを担うリーダーがいないということになります。そこで災害看護支援として、看護師が避難所に入ったり、地域を訪問することでその役割を果たし、お役に立っていると思います。地域災害支援ナースや災害支援ナースというのは日本看護協会にありまして、日本看護協会が災害支援ナースの訓練をしています。被災した県が要請すると、県の災害支援ナースがそこの現場に行きますが、それでも人が足りない場合は日本看護協会経由で全国の災害支援ナースが集まるという仕組みもありますし、近くの病院の看護師がボランタリーに行っていることもあります。また、看護師が集まっているNPOが、被災後の健康相談に行ったりすることもあります。このように、あまり知られてはいませんが、知らず知らずのうちに避難所の中に看護支援という形で入っていきますので、病院のように白衣を着たりしているわけではなく、いわゆる白衣の天使のように「私、看護師です」と言って入っているのではありません。黒子のような仕事をして、トイレ掃除をしていたり、水の補給をしていたりということがあるので、看護師は現場にはいるのですが、見えないところで仕事をしている事が多いというのが現状です。

途上国支援から学ぶ「プライマリーヘルスケア」の重要性

プライマリーヘルスケアというのは日本で今はなかなか見受けることがない状況ですが、逆に途上国に行くと「プライマリーヘルスケア」で人々の健康が守られている国はまだまだたくさんあります。災害が起きたときに、外部支援が来ない状況の中でプライマリーヘルスケアをもって地域の人たちが互助的に人々の健康を守ろう、特に子どもの感染症を予防しようということが見受けられます。それは地域の中で人々を守るということで、国の施策にはなってはいないのですが、その活動があるかないかによって人々が健康でいられるかどうかが全然違ってきます。それがよく分かったのがスマトラ島沖の地震津波でした。あの時はインドネシア、スリランカ、タイの3カ国が被災したのですが、中でもタイはプライマリーヘルスケアで成功したような国だったので、直後でもそのような活動が盛んに行われ、特に観光地が被災している状況だったので、人々は観光局と一緒になって「ビルド・バック・ベター」ということで、地域の復興が非常に早く進みました。逆にインドネシアは、地理的には隣の方なのですが、そこはもともとアジアの紛争地で、復興支援が足りなかったこともあり、地域の活動がふさがれてしまった状況の中で、人々はどんどん健康ではなくなってしまいました。私は地震の3年後までフォローアップしたのですが、両方の国でプライマリーヘルスケアがあるかないかで、3年後に見る景色が全然違っているということも学びました。人々が公助的に活動し、地域の施策が補助することによって、同じ自然災害であっても、その社会の状況によって復興の仕方は全然違ってくると思います。

また、プライマリーヘルスケアが役に立った一例として、ジャワ島中部地震があります。この地震は、ジャワ島の真ん中の方で起こり、ドロドロとした赤土の所に建っている軟らかい家がグシャっと崩れて人々が亡くなったという災害です。けがをした人たちは、擦過傷と言われる、いわゆるかすり傷のような状態で、生き延びてはいるけれど、皮膚がただれて大けがをしている人が多い災害でした。その時は、お互いに治療することでお互いの命を救ったという状況で、命をつなぐことにおいては、プライマリーヘルスケアが役に立ったのですが、その後、いかにリハビリをするかという、モバイルリハビリテーションの部分に関しては、保持していくのが大変でした。それはパッと行える救護ではなく、中長期に及ぶ地域の人たちが互助としてやっていかなければいけませんでした。「生き延びることはできたけれど大けがをしているので仕事をなくした」「生き延びているけれど、生き続けられるような状況でなくなった」という人たちがたくさんいました。これではもうセルフケアでは足りませんし、公助が行き届くにもエリア的に遠くて、地域の中での社会的支援こそが必要だったという事例です。このことを通して、プライマリーヘルスケアが大事であることを実感しました。

このプライマリーヘルスケアは、その必要性を1970年代にWHOが提唱していて、日本にもその概念は入っていたのですが、日本の場合は「ヘルスプロモーション」と言って、生活習慣病やその他の病気の方に向けた健康増進を目指していました。そのような状況の中で、やはりプライマリーヘルスケアといったら、ラジオ体操のようなものをイメージすることになり、地域の人たちの互助的な支援というのは、近年あまり意識していない状況で、地域で予算を立ててアプローチする形ではありませんでした。しかしながら、途上国では、災害の際にはなかなか公助が受けられないという課題があるので、自分たちでやろうということで地域内での支援が進められてきました。ネパールの地震の時にも、やはり行政が何もしてくれないから自分たちでやるしかないが、できれば外部支援が欲しいというリクエストがとても多かったことを思い出します。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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