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防災インタビューVol.165

災害に負けない社会を作るために

放送月:2019年6月
公開月:2020年11月

大津山 光子 氏

SEEDS Asia
海外事業統括

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

14万人が犠牲になったサイクロン・ナルギス

私は2009年から2016年までサイクロン・ナルギスという巨大サイクロンが起きたミャンマーで復興と防災に関わっておりました。サイクロン・ナルギスは2008年5月に発生したものですが、大きさ的にはカテゴリー4の巨大台風で、死者は85000人、行方不明が57000人、合わせて約14万人という想像もできないほどのおびただしい死者、行方不明者が出てしまいました。この時、私はインドの日本の総合商社に単なるOLのような形で勤務していたのですが、このサイクロン・ナルギスの話を聞いて、まず「なぜ台風で14万人もの人が犠牲になるのだろう」と疑問に思いました。地震や津波は突然発生しますし、なかなか予期ができないものですが、サイクロンというのはいわゆる台風のようなものですので、3日、4日前から来ることが分かるはずで、予報を聞いて逃げる時間があったのではないかと思っていました。「それなのに何で14万人も?」という疑問と同時に、「阪神大震災の後に神戸で出会った子どもがいろいろな問題を抱えていたように、ミャンマーの子どもたちも同じ状況になっているのではないか」という気持ちがありまして、転職をすることにしました。

実際にミャンマーに赴任してみると、「なぜ14万人が犠牲になってしまうのか」という背景がいろいろ見えてきました。災害マネジメント、あるいは防災マネジメントの基本事項ではあるのですが、災害リスクというのは、その社会や個人個人が持っている脆弱性が高ければ高いほど、自然現象という外力に対して対応できなくなり、被害が大きくなるものです。例えばレンガ造りの家ならば、風が吹いても飛ばないのに、わらの家に住んでいると、強い風が吹いたら飛んでいってしまいます。そういう社会の脆弱性みたいなことを目の当たりにすることが多くありました。また、地理的な脆弱性もあって、ミャンマーのデルタ地帯は、広大な低湿地の平原が広がっており、この地域に住んでいる人は一生山を見ずに暮らす人が多くいるというくらいに、平らで逃げる場所もなかなかないという問題もあります。その上、家が脆弱なのに避難できる建物もない状況で、日本であれば津波避難タワーや学校などがあるのですが、ミャンマーでは学校自体がボロボロな状況です。あともう1つは、当時は防災についての法律がなく、政府側の組織や体制も整っておらず、日本などにはある自主防災組織なども全く整備されていませんでした。その上、住民に対しても、情報や教育が不足していたということもありました。

ご存じの方も多いと思いますが、当時のミャンマーは軍事政権で、人とモノと情報が全く自由ではなく、一人一人の人権や安全性というものがないがしろにされてしまう時代でした。その状況の中で、例えば携帯電話のSIMカードを1つ買うのに20万円、30万円したり、テレビも国営のチャンネルしかなくて、それが4チャンネルしかない上に、テレビ自体も普及してなかったり、電気が通っていない村があったりしていました。学校でも防災教育というものが全く行われておらず、学校での教育は、先生が言うことをひたすら暗記して覚えるオウム型教育といわれるもので、全く考えることを必要としない教育がずっと行われていました。このように情報や教育が不足していたことによって、たくさんの人が亡くなってしまうというような事例も非常に多くありました。

情報と教育で防げた犠牲

サイクロン・ナルギスで被害を受けたボガレ地区という大きな町の中にコンティチャウンという村があります。その時の住民の話によると、当時は避難所もなく、学校もボロボロで避難する場所が見つからなかったので、仕方なくそこにあった米の倉庫にその村の住民700人みんなが集まってきました。強い風が吹いて、大雨が降って、高潮もあったのですが、そのような状況の中で、急に青空が見えて、風が止まりました。多分ここで日本の皆さんならば、「あっ、台風の目の中に入ったな」とすぐに分かると思うのですが、当時のミャンマーの方々は、テレビも普及していなかったために、台風の形も認識していませんでしたし、強い風というものが渦を巻いているということを知りませんでした。青空になって風が止まって、これで終わったと思って、700人いたうちの600人ぐらいの住民は、避難していた米の倉庫を出て、家に帰ってしまいました。その後でしばらくしたらもっと強い風が吹いて、また雨がどんどん降って、高潮もどんどん水位が上がってしまい、途中でもう一度避難所に戻ろうとしていた方も多かったのですが、住民の85%の方がサイクロンの目が通り過ぎた後で亡くなってしまったということがありました。これはサイクロンについて、知っていれば防げた災害であり、助かったはずの命でした。防災教育の必要性というものが強く認識された事例でした。

もし、日本のように携帯があれば、親に連絡したり、田舎にいる人に連絡できたのですが、情報はなかなか田舎までは届かないという状況にあり、テレビやラジオも普及していないので、サイクロンの情報が伝わってこないというのが、このような惨事を引き起こしたひとつの原因です。このように、まず情報が入ることはとても大切ですが、情報が入った後で「考える」ということもさらに大切です。ミャンマーの教育を見ていると、先生が言ったことをひたすら呪文のように唱える「オウム型教育」といわれているもので、考える人をなくす教育であり、愚民化教育とも言われたりしてきましたが、情報が来てもそれが本当なのかどうか、噂にすぐに左右されてしまったり、考える力をなくさせるような教育が行われていたということも1つの大きな背景だったと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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