SEEDS Asiaの支援活動
サイクロン・ナルギスの直後は、食べ物や水や教育というような基本的なニーズをまず満たさないといけないのですが、私たちSEEDS Asiaは、それだけでは十分ではなく、その後、同じようなサイクロンが次に起きたときに、同じような緊急支援の活動をするのではなく、防災について考え、事前に備えて、その国の人々が自分自身で対応できるのが理想的な形だと考えています。通常ですと、災害の後に緊急支援が終わり、基本的ニーズが満たされた後、多くの人道支援の団体は自国に帰っていくのですが、SEEDS Asiaは、その国に長期的に関わって、防災に対する支援をしようという決心をしました。防災意識の普及や啓発、そしてその国のいろいろな防災の取り組みを応援して、いわゆるビルドバックベターと言われる、復興を目指す活動に取り組むことにしました。
コンティチャウンでサイクロンの目のことを知らなかったために、たくさんの住民の方が亡くなられたのですが、その対策として政府の組織体制を変えたり、法律を作るのは本当に時間がかかることです。まずは、住民の方々にサイクロンというのは、どんなふうに発生するのか、地震や津波というのはどんなものなのかということを理解していただくのが最も必要な課題だと認識をして、移動式防災教室というものを開発しました。最初は、元首都だったヤンゴンに防災センターを建てて、住民の方に見学に来てもらおうと考えていたのですが、当時、道路もなかなか整備されていない状況で、軍事政権下で人の移動も制限されている中で、いろいろな人にミュージアムに来てもらうというのはやはり難しいのではないかということで、私たちがトラックを使って、出前出張のような形で防災教室をやっていこうということになりました。災害についての知識が全くなく、サイクロンに目があるということ自体を知らない人たちがほとんどだったので、まず最初に基本的な災害の仕組みを知ってもらい、それに対してどう対処するかということを動画や模型で体験できるようにしました。日本であれば、防災センターの中でいろいろな事が体験できるのですが、それをよりコンパクトにした形で、模型を作って、トラックに載せて、いろいろな学校を回るという活動をしてきました。
このような防災教育のあり方というのは、いろいろなアプローチがあるとは思うのですが、まずはその仕組みを理解することが大切だと思っています。ミャンマーには、防災教育という科目がないので、その中で先生に防災を教えてもらおうと思うと、理科や世界の地理の授業に取り込んでいくのが一番防災教育を継続的に持続できる方法です。この仕組みをより視覚的に理解してもらって、それと同時にどう対処するかというのを説明するというような、包括的な防災教育のあり方を私たちは選択しました。
特にミャンマーにおいては、「嫌なことを話すとそれが起こってしまう」というような言い伝えが皆さんの中にあって、それが文化的な障害になりました。「嫌なことを話すとそれが起こってしまうので、来てほしくない」とか、「あなたたちが来たから災害が来たじゃないか」とか、そういう根も葉もないことを言われることもありました。その中で私たちは、この10年間をかけて、住民の方が好きなキャラクターを採用して、防災教育を広げてきました。日本でいうと藤子不二雄さんみたいに、ミャンマーの人ならみんな知っている「ツッピー」というキャラクターがあるのですが、その作家にデザインを描いてもらって、できるだけ子どもが読みたいと思ってもらえる教材作りを行い、体験型で楽しいと思ってくれるような工夫をありとあらゆる所に入れ込んで参加者を増やしていきました。
日本の昔の知恵を防災に生かす
防災というもの自体が異文化であるという場所で、防災教育をしていくことには障害があるとお話ししましたが、それに加えて、日本人がやって来て防災教育をする際にもう1つの障害があります。「日本ができているからといって、自分たちの国ができるわけがないだろう」というような、経済的な格差について指摘する人もいます。その時にいつも紹介するのは、日本の昔の防災の事例です。三重、愛知、岐阜の辺りに輪中というエリアがあるのですが、そこの水防団がきちんと自分たちで堤防を守っていた話や、あるいは「稲むらの火」の話で、津波の危険を伝えるために自分の稲に火をつけて村人を誘導し、津波後には、次の災害に備えて堤防を作った話など、インターネットも電話もない時代に日本の昔の方がいろいろな形で自然と暮らし、時には災害と戦い暮らしてきたという話をすると、「じゃあ自分たちにもできるんじゃないか」「今だったらもっといろいろな技術があり、いろいろな方法があることを知っているし、いろいろな失敗事例も分かるので、それならば私たちもできるかな」という気持ちになってくれることがあります。これは大きく成功しました。
例えば、津波について知らなかった人たちに津波のビデオを見せます。そうしたらサイクロン以上の勢いで水がやってくるということを知るわけです。日本のように周りにすぐに山があるわけではないので、「これじゃ、逃げられないじゃないか」と思うわけです。そこで、「では、どうしたら逃げられるのか?」ということを問いかけると、「住民の誰々さんが車を持っているから、あそこに集まって避難しよう」というような意見を出したり、みんなで何とか助かろうという気持ちをもって、考えてくれるようになりました。