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防災インタビューVol.195

「逃げキッド」作成と防災のためのお片付けのすすめ

放送月:2021年12月
公開月:2022年3月

松丘 夕子(赤プル) 氏

太田プロダクション所属 夫婦コンビ「チャイム」 防災士

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

プロフィール

私は、お笑い芸人をやっている、茨城出身の赤プルです。太田プロダクションに所属しておりまして、今は夫婦コンビ「チャイム」として浅草の漫才協会でも活動していますが、もともとはピン芸人として2003年の末から活動を始めて、「エンタの神様」「爆笑レッドカーペット」などの番組で、茨城県の自慢のネタを披露させていただいています。

この番組にはそぐわないかと思いますが、初めましての方もいると思いますので、茨城の自慢のネタをちょっとだけ披露させていただきます。

「茨城出身の赤プルです。おめえら、いつまでもいつまでも調子に乗ってんじゃねえかんな。茨城で道迷ったとき、どっかにつながってっぺ、って運転してっと、長い道のりの最後は、人ん家になってっことがよーくあるんだかんな。おめえら、これ以上茨城のこと馬鹿にしてっと、承知しねえかんな、それじゃ茨城の自慢はここまで。」これが茨城弁なのですが、お聞き慣れない方は、ちょっと何を言っているのか分からないところもあるかもしません。今日はちょっと標準語に近づけながらお話をさせていただきたいと思っています。  

現在私は、茨城県から活動を認めていただけたのか、「茨城大使」と、地元の常総市の「ふるさと大使」をさせていただいており、夫婦コンビ「チャイム」としても、茨城県警の「安心安全アンバサダー」をやらせていただいています。

お笑い芸人もこの番組と同じ18年ぐらいやっていますが、実は2017年に防災士の資格を取得しました。防災士を取ろうと思ったきっかけは、2015年に地元の常総市も被災をした、関東東北豪雨という災害があった際に、何か私にできることはないだろうかと思って、ボランティアやチャリティ活動を少しだけさせてもらいました。その時に、茨城県の広報課の方から、「防災ネタを作ってほしいな」と言っていただきましたが、災害が起こったばかりで、防災をネタにして笑ってもらっても良いのかと、私自身、とても不安がありました。でも、それならば、しっかりと勉強して、防災のことをきちんと分かった上で作っていこうと思い、防災士の資格を取得しました。ただ、私が防災士になったと言うと皆さんから「それって暴走族の仲間なの」とか、「暴れるという文字に妻で、暴れる妻なんじゃないの」と言われたりもしました。夫からは、「夕ちゃんにはちょっと早いんじゃないの、もうちょっと歳を重ねてからやった方がいいんじゃないの」と言われましたが、なんと「盆栽」と間違えていたということです。

このように始めた防災ネタですが、漫才でやっても、あまり受けないというのが、一番の悩みです。

関東東北豪雨でまさかの逃げ遅れ

2015年の関東東北豪雨以降、本当にたくさんの豪雨災害が続いているという印象を私は受けているのですが、それ以前は、まさか自分の地元が豪雨災害に遭うとは思っていませんでしたし、青天のへきれきみたいな感じでした。この豪雨では、川が決壊してしまい、常総市でも4300人が逃げ遅れて、消防や警察、自衛隊によってボートやヘリコプターで救助されました。そのうちの5人が何とうちの姉の家族でした。

姉の家族は、この時、何と車で常総市の石下地域で、鬼怒川の溢水箇所を見に行っていて、私や妹のところにリアルタイムで動画や写真を送ってきていました。これは一番やってはいけない行為で、「何をやってるんだろう」と私もドキドキしていたのですが、どんどん川の水が溢れてくるのを見て、慌てて家に帰ったそうですが、すでに別の場所が決壊して水がドンドン溢れて、家の周りが水で囲まれて身動きできない状態になってしまったそうです。ありがたいことに、すぐに消防の方が救助に駆け付けてくださって、ボートに乗って避難先に行くことになりましたが、姉たちがボートに乗っているのに、めいが家から出てこなかったので、怖くて出られなくなったのかと家の中に迎えにいくと、すました顔で空を見上げて、「私、ヘリコプターに乗りたい」と言っていたそうです。本当に危機が迫っている状況の中でも、のほほんとしていたのは、今思うと「正常性バイアス」だったのかなと思います。それまではこのようなことが起こるとも思っていなかったし、こんな時にはどうすればいいかも考えていなかったので、みんな着の身着のままボートで避難先に行きました。避難所ではなくて、土木会社の2階を開放してもらった場所だったので、何も用意されておらず、携帯の充電が切れてしまって、自分たちの置かれている状況も分からず、誰かに連絡を取ることもできずに困ったそうです。食糧もなくておなかがすいているけれど、姉のバッグにはチョコレートが1つしか入っていなくて、それを家族でじゃんけんをして取り合ったというような状況だったようです。姉たちと一緒に避難された別の家族がいましたが、どうしてもへそくりが気になるからと言って、川の水が溢れている状況の水の中をかき分けて家まで戻ってたんすのへそくり2万円を取って帰ってきたという話も聞きました。本当にうそのような本当の話を姉たちから聞いて、いろいろなところで反面教師として、姉たち家族の話をさせていただいています。この時、常総市には逃げ遅れた方が4300人いたわけですが、中には救助を待ちながら朝を迎えた方も多く、先輩のご両親は、アパートの2階に避難をして、2階の方に「お家に入れてほしい」と言ったら「それはできない」と言われてしまって、結局アパートの廊下で昼間まで待機していたということでした。本当に大変な方がたくさんいて、命があったということが奇跡だと思っています。

※今回のインタビュー記事は、東急電鉄の協力のもと、「FM salus」が過去に放送した『東急建設 presents 「サロン・ド・防災」』の内容を、一部改定して掲載しています。