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防災インタビューVol.196

百聞は一見にしかず ~被災地から学ぶ 防災の知恵~

放送月:2022年1月
公開月:2022年4月

定野 司 氏

文教大学 客員教授

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

複合災害である東日本大震災の教訓から

2011年3月11日の夜は、たくさんの方が徒歩で都心から帰るというシチュエーションがあり、ちょうど足立区役所はその沿道にありましたので、皆さんからは「寒さを凌ぎたい」「トイレを借りたい」という要望があり、要するに庁舎の中を使わせてほしいという申し出がありましたが、これは実を言うとお断りしました。「何でそんな」「入れて差し上げればいいじゃないか」とも言われたのですが、そこに災害対策本部も立ち上がっているので、その機能に支障があってはいけないというのが、実は阪神淡路大震災の時の経験を元に取った行動です。震災当時、神戸市役所の1階にたくさんの方が集まってしまって、災害対策本部として機能できなかったということがありました。それを回避するために、区役所は開放せず、避難する場所として学校を用意していますし、そちらには温かい食べ物もありましたので、庁舎には入れさせないということにしました。それを英断と言っていいのかどうかは分かりませんが、私としては当たり前の判断をしたと思っています。しかしながら、周りの方々からは「冷たい人」と言われて、議会でも質問されましたが、その時の区長が、「あの判断は正しかった」と言っていただいて、私は非常にホッとした思いでした。

災害時にも、やはりいろいろなルールがあり、そのルール通りにするのがいいのかどうなのかは、その都度判断していくことが鉄則で、心情的にはこうしたいという思いがあっても、やはりその先のことを考えながら判断していくというのが防災、災害対策においては大事なことだと思います。今良ければいいという話ではないということです。例えば「1日3リットルの水を持ち出し袋に入れておきなさい」とよく言われますが、お年寄りにそんなことを言ったとしたら、多分避難所まで辿り着けないと思います。ですので、そういうときには、「自分しか持っていないお薬だけ持って避難所に行けば、何でもありますよ」と言って、安心して薬だけ持って逃げていただくということもやはりありなのではないかと思っています。

特に東日本大震災の時は津波の被害がひどかったので、とにかく早く逃げることが重要でした。そのような時に「避難袋はどこにある?」とか「1日3リットルの水を持って」ということを考えていると、3リットルの水は3キロあるわけですから、若者ならいいでしょうが、お年寄りにはとても無理な話です。だったら、とにかく命だけあれば何とかなるわけなので、そういう臨機応変な対策がまず必要なんだということが教訓として強く残っています。

広域避難の実情と対策

東日本大震災の時には、足立区にも広域避難で避難してきた方のための避難所ができました。われわれ足立区が先に作ったのですが、東京都がやるということで、作った避難所に200世帯から300世帯が避難してきました。都営住宅などに移動していく人もいましたが、大体1カ月半ぐらい避難所で多くの方が過ごしていました。その時には、足立区は幸い大きな被害を受けていなかったので、住民も手助けがしたいということで自分事として、炊き出しなどをしたのですが、商店街やお店は普通に営業しているので、クーポンを配れば、レストランなどで食べることができました。そうすると、「炊き出しをやったけれど、誰も来ない」という、笑えない状況になってしまいました。実際の災害の時には本当に必要な支援はどういうものなのかということをきちんと考えておかなかったために、「なんだ、せっかくやろうと思ったのに、こんなことじゃね」という反省も多々生まれました。避難してきた方々は、体育館の中で過ごすわけですからやはり日常ではないのですが、周りの地域は日常なので、お風呂屋さんもやっているし、レストランもやっている。そういうことを考えて支援をしなければいけないということを実感して支援本部を作って、情報、ニーズを集めて支援をしたというのも初めての経験でした。

首都直下地震の避難所問題

東日本大震災の際には、避難して東京にいらした方は、とりあえず体育館などに避難していただきましたが、もし、東京都で首都直下地震が起きたときはどこに避難するのかということも想像しておく必要があります。域外にもそんなに多くの方が避難できる大きな施設があるかというとそんなにたくさんはありません。しかし、実は施設以外に避難するところは結構あるのです。それは空き家です。公営住宅や体育館などももちろん必要ですが、一時的に避難所にいたとしても、空き家を使ってしばらく凌ぐことも首都圏の場合は考えていかないと難しいだろうと思います。実はそういう対策も少しずつ練っています。

高齢社会ということで空き家も多くなってきていますので、そういったところを逆手に取って、首都圏で災害があった際には、被害を受けていない空き家に移動していただくのが一つの解決策となります。今ある資源を使ってどうするかを考えておかないと、仮設住宅を作るといっても東京には空き地もそんなにはないので作れません。だとしたら事前に、自治体間の連携も考えておく必要があります。広域的な観点から、特に足立区は埼玉と県境にあるので、事前に埼玉県との防災協定を結んでおくことが必要です。阪神淡路大震災後は、そういうことに気付いて、いろいろな地域との協定もたくさん結んでいます。

ただ、そこで重要なのは、提携してはんこをついていればそれでいいかというと、そうではなくて、日頃のお付き合いこそが、非常に重要になってくるのだと思います。

被災地の隣の町への支援

東日本大震災においては、震災自体の被害も大きかったのですが、原子力発電所が原因の被害も非常に大きなものがありました。目に見えない放射能の被害は、足立区の場合は、スポット的な汚染はありましたが、そう大きなことにはなりませんでした。ただ現地は大変だったと思いますし、われわれも現地に行くときに、必ず放射線量計を持って行っていました。福島に防災協定を結んでいる所があったのですが、そこの町に行く時もそうしていました。直接津波の被害を受けたり、震災で原子力発電所の影響を受けた所から避難する方もいましたが、やはり「もと住んでいた所の近くに避難したい」という希望があって、比較的軽微な被害を受けた所に避難しているケースが多くありました。しかしながら、実はそこも多少なりとも被害を受けているわけです。宮城県美里町も、そういう地域で、直接被災地ではないけれど、近隣の被災地から人が流入してきていて、実は手が足りないという状況の「被災地の隣の町」なのですが、実際はそこも被災地です。そのような所を積極的に支援するということを当時はやりました。直接被害を受けた所に人の手は、どんどん行ってしまい、被災地の隣の町などは素通りしてしまうこともありますので、被災地の隣の町にも隠れた需要、ニーズがあるということもあの時初めて知りました。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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