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防災インタビューVol.215

防災とまちづくり

放送月:2023年7月
公開月:2024年1月

金藤 純子 氏

株式会社EnPal 代表取締役
岡山大学大学院 環境生命自然科学研究科 都市環境創成学コース 博士後期課程 在学

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

被災後の問題~住居の片付け~

自衛隊のボートで乳幼児・高齢者などの順番に救助され、その後私たち家族は親族宅に向かったので避難所には入りませんでした。ただ、命は助かったものの、今度は2軒の家がどうなっているのか戻らねばわかりません。町の4分の1が冠水した真備町で、排水ポンプ車が町に溜まった水を川に戻す排水作業が始まりました。被災後3日後にようやく水が引いて、真備町内に車がはいれました。

実家は1階の天井まで、私の住まいは2階のテーブル下まで浸水していました。2階の冷蔵庫に汚水が溜まっていたので、どこまで水が上がっていたのかわかりました。
そこから、浸水被害の家の片づけに想像を絶する過酷な作業が待っていました。家財をすべて庭に運び出し、床木材を剥いで泥を掻き出し、乾かさないといけないのです。
ありがたかったのは、当時、会社の同僚が被災したらすべきことや参照すべき情報が掲載されているウェブサイトを教えてくれて作業の段取りを組めたことでした。毎日、社員やボランティアのシフトを組んでくれて、日毎の作業工程を組んでいきました。その時に同僚から言われたのが、「あなたは被災者本人しかできないことに集中しなさい」と。現場の総監督というか、ボランティアへの指示役を私の息子にしなさいと、役割分担を決めるように助言してくれました。

例えば、車も被災していますので、代車を素早く手配することや、倉敷市役所に被災証明書を取りに行くなど、これは本人にしかできません。また、本人にしか分からない貴重品、お金や宝石類、大事な書類などを先に手元に集めることも必要です。
そうしておかないと、私たち被災者にとっては大事な家財でも、泥にまみれた家財の片付けとなると、実際には災害ごみというかたちでほとんどのものは廃棄されていきます。

複数ある部屋の片付けも、片付ける部屋の順番など平面図を書いてお手伝いされるボランティアの方が分かるように玄関に貼り出しておきました。
合板で作られた家具は水を含んで膨れ上がってしまい捨てることになりますが、1枚1枚のしっかりした板で作られた家具はまだ使えるので、細かい泥を固まる前に水で早く流したいのですが、被災して水や電気が止まっているため、水タンクが手に入りません。

倉敷市内の中でも真備町だけが水の中に浸水してしまい、被災していない下流の方にあるスーパーやホームセンターに買い物に行っても、スコップやデッキブラシ、長靴、バケツ、水タンクといった片付けに必要な道具が売り切れてなくなってしまいます。
自分たちで買いに行く余裕がないものは、60キロ離れた場所のホームセンターまで友人に買い出しをお願いして、真備町まで届けていただきました。

このように段取りを決めることが家屋の復旧スピードにとても影響します。お年寄りが住まわれているお宅ではなかなか片付けが進んでいない状態でした。毎日、片付けと仮住まいの手配、段ボールの机で食事を取って、落ち着いてきたら仮住まいの家具や家電を買って…ということが被災した後何ヶ月間も続きます。

被災後の問題~新生活に向けた選択~

水や電気、ガスが止まっている状況での片付けは冷房やトイレも使えません。また水害は夏・秋に発生するので、被災者だけではなくボランティアに来られる方も熱中症で倒れてしまうことも多いです。汚水が混じり町中が嫌な臭いがして、泥が乾いて舞い上がっているので、暑いのにマスクをして片付けをしなくてはならず、体調を崩される方もいます。

私たちは、母を真備町から離れたみなし仮設住宅に1人残して、残りの家族とボランティアで毎日片付けをしていきました。ある日の夕方、みなし仮設住宅に戻ったら、母がパジャマのまま座っていました。その辺りから、認知症の兆しが始まっていたのだと思います。なぜそうなるのかというと、私たちはスマートフォンなどでどこに行っても繋がっています。ところが80代あたりの世代では、携帯電話やスマホを持っていません。被災して、母のご近所のお友達が避難所にいるのか、どこにいるのかが分からなくなってしまいました。片づけに出た家族が戻るのは夕方、誰とも話をしない一日が続き、孤立してしまったのです。コミュニティの崩壊や、孤独死、災害関連死はこういうことから始まるのだということを実感しました。

次に大変だったのが、家を建て直すのか壊して引っ越すのか。真備町に戻るのか戻らないのかという意思決定です。真備町では、明治以来、14回の水害があったということを初めて知りました。私は、「もう真備町には戻らずに中古の家を安く買って親戚の近くに住もう」と提案しましたが、両親は「死んでもいいから真備町に戻らせてくれ」と言いました。両親は、50年住んでいるから、親戚よりも仲間やお友達とのつながりが大事だと考えていました。

家屋は全壊しているので、今度は建て替えて新築にするのかリフォームするのかという選択になり、何社も見積もりを取り、リフォームすることにしました。被災地では大工さんの数も足りないなどの問題も出てきて、すぐに町に戻ることはできません。決断するまでにいろんなご家庭で喧嘩や揉め事があったと聞いています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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