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防災インタビューVol.202

災害イマジネーションと防災

放送月:2022年7月
公開月:2022年10月

目黒 公郎 氏

東京大学教授

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

東日本大震災の誤解と教訓

東日本大震災を振り返ってみると、教訓もたくさんあるのですが、被害についての誤解もかなりあります。皆さんご存じのように東日本大震災の際に津波被害を受けた岩手県や宮城県を中心とした被災地は、過去にも繰り返し津波の被害を受けてきたことは広く知られているところです。以前に被災したこれらの地域では、高台移転したり、津波防波堤や防潮堤を造ったりしてきました。ところが今回の津波はそれらの施設を乗り越えて内陸を襲い、結果的には1万8千人を超える人々が直後にお亡くなりになってしまいました。津波対策の施設も壊れてしまい、マスコミはその壊れた施設を映し、「あれだけのお金と時間をかけた施設はなんだったんだろう」「自然の力って大きく、人間があらがおうと思っても難しい」というような説明をし、多くの国民もその説明に納得したわけです。この説明で使った数値は正しいのですが、全体の伝え方としてはミスリードではないかと私は思っています。

東日本大震災を引き起こした地震は、正式には東北地方太平洋沖地震と言うのですが、この地震は2011年3月11日午後2時46分に起こりました。その後、津波が押し寄せた地域を津波浸水域と言いますが、そのエリアに地震発生時にどれくらいの人が存在していたのかをいろいろな方法で調べました。その結果わかったことは、地震直後に後に津波浸水域になる地域には約62万人の人々が存在していたということです。その中で亡くなった方は、1万8千人余りなので、その比率は約3%です。残りの97%の方は、無事生き残ったのです。誤解のないように言っておきますが、不幸にしてお亡くなりになった3%の方々に対して、その原因究明と今後そのような問題が発生しないための解決策の提案は言うまでもなく重要です。しかし同時に、事前の様々な対策によって、津波浸水域にいた人の97%の方が生き残ったというのは、過去の世界中の津波災害と比較して、ずばぬけていい成績だということもきちんと伝えておくべきだということです。

壊れてしまって効果がなかったと言われた防波堤や防潮堤に関しても、丁寧な津波シミュレーションをしてみると、実は大きな効果があったことが分かっています。例えば、ギネスブックにも載っていた釜石港の湾口防波堤は津波の湾内への来襲を6分間遅延させる効果があったことが分かっています。皆さん想像してみてください。内陸にいて津波から逃げる時に、最後の瞬間に6分間の時間をもらえるか否かは非常に大きな差だということがわかるでしょう。

普通の波と津波が大きく違うのは、通常の波は水粒子が同じ場所で上下しているだけですが、津波は水深が浅くなると海底から海面までの全断面で水が動くので、そこに壁があると、越流した部分は止められないのですが、壁のある部分は水の移動を止めているので、中に入ってくる水の量が全然違うのです。釜石の湾口防波堤の場合は、これがもしなかった場合は、当時観測された津波が、浸水深と遡上高さの両方で、1.4倍から2倍になっていたことがわかっています。さらに繰り返しの津波で壊れてしまったこれらの施設も、最初から壊れていたわけではないので、最初の引き波の際には、ダム効果によって急激な引き波と水位の低下を阻止することにより、津波に飲み込まれた人が何とか泳いで岸に逃げたり、浮遊するがれきを伝って高いビルに逃げたりすることができ、人的被害を大きく減らしたわけですが、この事実はあまり知られていないのです。

実際、青森県から千葉県まで、津波が浸水した全ての市町村に対して、「どこまで津波が押し寄せ、そこに地震発生時に何人の人がいて、その中の何人がお亡くなりになったのか」を調べました。その結果、すでに説明したように、亡くなった方は浸水域に存在していた人の3%で、残りの97%の方が生き残っていたことがわかりました。これを個別の市町村で見ると、浸水域での死者率が最も高かったのは陸前高田市で12.8%です。浸水していないエリアを含め、一つの自治体として死者率が一番高かったのは女川町で、その値は9.46%でした。一方で過去の被害を見てみると、1896年の明治三陸の時には、わが国の人口が現在の3分の1(約4,300万人)の時代に、直接被害だけで2万2千人が亡くなるか行方不明になっているので、東日本大震災以上の犠牲者が出ていたことがわかります。またその比率を調べると、当時は浸水域と死者の分布の詳細な調査が行われていないので、集落単位でしか比較できないのですが、鵜住居村では全体で約3分の1の32.7%の方が亡くなるか、行方不明になっています。釜石町では53.9%、唐丹村では全体の3分の2に相当する66.4%の方が亡くなるか、行方不明になっています。さらに「田老の万里の長城」と言われた標高10mの津波防潮堤で有名な田老地区は、明治三陸地震の際には全体の83.1%の方が死者・行方不明となっていますが、昭和三陸地震では32.5%、今回は3.9%です。このように、実際には、事前の様々な対策で劇的に死者数を減らしているのですが、マスコミは亡くなった人の話ばかりを報道し、助かった方々の話をあまりしないので、多くの国民の皆さんには伝わっていないのです。結果として、防波堤や防潮堤の被害軽減効果が過小評価されたりしたのですが、これは正していく必要があります。

復旧、復興における日本の課題

我が国の災害からの復旧、復興に関わる課題の中の一つとして、現在の法律では、「自分たちの将来の問題だからと言って、精神的にも体力的にも最も余裕のない、しかも経験もなく、専門性も高くない被災者や被災自治体の皆さんに、被災地の復旧、復興を考えろ。しかも短い時間の中で決めないと支援しないよ」となっている状況があります。これでは、被災したときには、地域の潜在的な問題を改善する「ビルドバックベター(より良い復興)」を考えることは絶望的に難しい。このような環境では専門家の支援が重要になりますが、ここでも問題があります。「被災者や被災地に寄り添う」という言葉は美しいですが、最終的にここに住むのは被災者だから、彼らの考えを優先しましょうと言って、大きな課題を改善できるめったにない機会を失わせてしまうことがあります。人間は自分の想像力を越える質問には回答できないので、適切な距離間をもって被災地支援し、将来のために被災者の想像力を越えるアイデアを含めて提案し、議論することが大切です。

もう一つは、東日本大震災発生の2日後に国家戦略室に呼ばれて話したことですが、日本では災害で、行方不明者が出ると、通常は最後の1人が発見されるまで捜査活動を継続することが基本です。しかし、東日本大震災のような津波災害時には、千人オーダーで行方不明者が見つからない可能性が高い。このような環境では、「生き残った方々のマインド、心のケアーがすごく重要で、それをしないと、まだ家族が見つかっていないのに自分だけが復旧、復興のモードには行けないとか、自分よりも価値のある友人が亡くなり、私が生き残ってしまった、などの気持ちが、積極的に復旧、復興に向かうことを困難にするので、生き残った方々のマインドのリセットをまずはきちんとすべきだ」と言いました。諸外国では、日本と同じように、行方不明者が大勢出た際には1週間とか10日間ほどは一生懸命捜査活動をしますが、それぐらいの時期に、地域で尊敬されている方、多くの場合は宗教者ですが、彼らが生き残った被災者を集めて、次のようなマインドリセットのセレモニーをします。「今日まで、行方不明者を一生懸命探してくれてありがとうございます。神様も皆様に感謝されています。そして、今日まで見つからなかった方々は、既に神様が天国に召されていますので、行方不明になった方々のことを心配する必要はありません。今まで行方不明者に集中していた気持ちやエネルギーを、これからは生き残った皆さんのため、子孫のために、被災地をどうやって復旧、復興していくかに向けて、頑張りましょう」という儀式です。日本ではこれがきちんとできない可能性が高いので、これをちゃんとやるべきだとお伝えしました。しかし、この問題は依然として残っており、首都直下地震や南海トラフの地震の発生時には、同様に大きな問題になります。大規模災害発生までに対策を立てていく必要がある非常に重要な問題の一つだと思っています。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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