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防災インタビューVol.202

災害イマジネーションと防災

放送月:2022年7月
公開月:2022年10月

目黒 公郎 氏

東京大学教授

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

国難級の災害について

災害の規模が本当に大きくなると国の存続自体が危ぶまれるような状態に陥ることがあります。実際に、世界の歴史では、この規模の災害が時々起こっています。有名なところでは、1755年にポルトガルの首都リスボン市を襲った「リスボン地震(M8.5~9)」による被害です。この地震では、揺れと火災、さらに津波でリスボンの市内の建物はほぼ壊滅し、人口の3分の1以上が亡くなりました。被害の総額は、間接被害などを加えない直後の被害だけで、当時のポルトガルのGDPの1.5倍を超えました。これによって、それまで海運や植民地政策で世界をリードしていたポルトガルは、一気に失速してしまいました。アジアでは1970年に巨大なサイクロン「ボーラ・サイクロン」が、当時インドを挟んで西と東に分かれていたパキスタンの東パキスタン、現在のバングラデシュを襲い、大きな被害をもたらしました。このサイクロンだけで、最大50万人が亡くなったと言われています。これは20世紀以降で1回の自然災害で最も多くの死者を出した災害の1つです。もう一つが中国で1976年に発生した唐山地震です。文革の末期で厳しい情報管理が行われ、外国の研究者の入国も調査も認められませんでした。中国政府の公式発表による死者数は約24万人ですが、諸外国の研究機関では、最大60万~80万人の死者が出たであろうと推定しています。この「ボーラ・サイクロン」の災害の後に、東パキスタンは西パキスタンに助けを求めたのですが、十分な支援がなかったことに反発し、独立運動の大きなきっかけの一つになりました。

日本では、歴史の授業ではあまり教えていないですが、国難級の災害が江戸時代の末期、幕末に起こっていて、これが江戸幕府の滅亡や明治維新に大きな影響を与えています。ペリーが来航した1853年の翌年の1854年の旧暦の11月4日と5日に、M8.4の巨大地震が2日続けて、日本の太平洋ベルト地帯を襲いました。その間隔はわずか31時間で、激しい地震動と巨大な津波で、関東の南部から四国、九州にいたる太平洋側が壊滅的な被害を受けました。その後1年もしない1855年の10月に、今度はM7クラスの首都直下地震が起こります。安政の江戸地震です。その地震で幕府の施設は大きな被害を受け、諸藩にその復旧や復興の支援を求めますが、諸藩の江戸屋敷も甚大な被害を受けていますし、西日本の藩は前年にも甚大な被害を受けているので、幕府への不満も募ります。安政の江戸地震の後には、また1年もしない1856年8月に、今度は安政の江戸暴風雨と呼ばれる巨大台風が江戸湾(現在の東京湾)を襲って、これにより10万人が亡くなりました。水災害で多数の者が発生すると疫病が発生しやすくなります。この台風災害の後には、江戸時代の3大パンデミックの2回目と3回目が起こります。コレラの大流行です。死体が街のあちこちで見られるような状況で、1858年には江戸だけで3万人から10万人が亡くなりました。コレラはその後も流行し続けましたが、1862年にはさらに麻疹(はしか)が加わり、江戸で20万人以上が亡くなっています。ペリーの来航からわずか10年もしない期間に繰り返し発生した自然災害とパンデミックによって、幕府は財政的に大きな痛手を受けるとともに、諸藩からの求心力も失ってしまったのです。

現在も、首都直下地震や南海トラフ地震の危険性が指摘されていますが、これらによる被害は首都直下地震で約95兆円、南海トラフ地震で約220兆円になると政府は推定しています。しかし、これらは延焼火災や津波災害までを対象とする直後被害のみです。そこで2018年に、土木学会が長期的(地震災害では20年間、水災害では14カ月)な経済影響までを評価し、これを公表しました。その額は、首都直下地震で855兆円、南海トラフでは1,541兆円です。この規模は、国の存続さえも難しい国難級災害です。この規模の災害に対して、どういう対策をしなければいけないのかが、今われわれに問われています。

「総合的災害管理」による対策

現在心配されている大きな災害に対して、有効な対策として、私が一生懸命訴えているのは、「総合的災害管理」という考え方です。これは3つの事前対策と4つの事後対策で「被害を最小化するとともに、災害を地域の課題を改善する重要な機会として有効に活用し、発災前よりもいい状況に被災地を改善しましょう」というものです。事前の3つの対策とは、①「被害抑止力」、②「被害軽減力」、③「ハザードの予知・予見と早期警報」です。①の「被害抑止力」は構造物の性能アップと危険な場所を避ける土地利用制限策で、被害を大幅に抑止しようというもの、②の「被害軽減力」は英語ではプリペアードネスと呼ばれますが、被害抑止力だけでは賄いきれなくて発生する被害を、事前の準備によって、災害の及ぶ範囲を狭くするとか、被害の波及する速度を遅くしようというものです。具体的には、災害対応のための組織をつくっておく、事前に復旧・復興計画を立てておく、防災マニュアルを用意する、日頃から訓練をしておくことなどです。③の「ハザードの予知・予見と早期警報」は、地震予知は難しいですが、台風や津波などでは、事前にハザードの情報がわかるので、それに基づく警報を配信し、市民や関係機関がこれを効果的に利活用することで被害を減らす対策です。

そしてハザードが地域を襲うわけですが、その後に行うべき4つの事後対策とは、④「被害評価」、⑤「(応急)災害対応」、⑥「復旧」、⑦「復興」です。④の「被害評価」は、発災後にどのような被害が、どこで、どれだけ発生したのかを、なるべく早く、なるべく正確に評価することです。この評価結果に基づいて、その次に実施するのが、⑤の「(応急)災害対応」で、これには3つの活動が含まれます。人命救助、2次災害の防止、被災地や被災組織の重要機能の早期回復です。これには被災地域の回復は入っていないので、⑥の「復旧」と⑦の「復興」が続きます。⑥の「復旧」は基本的に、被災前の状態まで戻すことです。しかし、その状態で被災したことを考えれば、また、大規模災害は、その災害の有無にかかわらず、被災地が潜在的に抱えていた課題を、時間を短縮し、より甚だしく顕在化させる性質を持つことから、元の状態に戻すだけでは不十分です。そこで、改良型の復旧である⑦の「復興」が必要になり、これを「より良い復興:ビルドバックベター」と呼んでいます。

以上の3つの事前対策と4つの事後対策を適切に組み合わせて、被害の最小化と災害が起こったタイミングをその地域の潜在的な課題を改善するための重要な機会と捉えて問題解決しようとするのが、「総合的災害管理」という考え方です。

「防災」と「減災」

東日本大震災以降、よく「防災から減災へ」などの言葉を耳にしますが、皆さんはこの意味をどうとらえていますか。「減災」を特別に定義して使っている場合は別ですが、一般的には随分と誤った認識に基づいて使われている言葉と私は感じています。なので、私は、「防災に対する理解不足」と「国民をミスリードする危険性」の2つの理由から、「減災」という言葉をあまり使いたくないのです。

多くの皆さんは、「減災とは、防災対策(事前の抑止対策)で被害をすべて防ぐことはできないので、事後対応も含めて、被害の影響を最小化すること」くらいに考えておられると思いますが、防災において一番重要な法律である「災害対策基本法」を皆さんはご覧になったことがありますか。この法律は、1959年の伊勢湾台風を踏まえて1961年に施行されました。多くの法律がそうであるように、災害対策基本法でも最初の部分に、この法律の背景と目的、幾つかの重要な言葉の定義が記載されています。具体的には、背景と目的の後に、対象とする災害の定義と防災の定義が述べられています。そこでは、「防災とは、被害の未然の防止、発生した被害の拡大の阻止、及び復旧を図ること」と明確に、かつ簡潔に書かれています。「被害の未然の防止」とは被害抑止のことです。「発生した被害の拡大の阻止」は災害対応のこと、そして説明するまでもなく、「及び復旧を図ること」とは復旧のことです。つまり、「災害対策基本法」で定義している防災は、事前の抑止対策、災害対応、さらに復旧も合わせた意味なのです。減災などと敢えて言う必要のない用語です。ただし、災害発生時を被災地の問題改善の重要な機会として捉え、発災以前よりもいい地域に改善しようという意味での「復興」の意味が乏しかったので、東日本大震災以降に「復興法」をつくったのです。

ここまでの説明を聞いてくださった方々は、災害対策法が定義する防災は「減災」を使う多くの人たちが考える「減災」の意味を包含していることをご理解いただけたでしょう。このような状況を踏まえると、私は「減災」をよく使う防災の専門家や災害報道を専門とするジャーナリストたちは、防災で最も重要な「災害対策基本法」の最初の部分も読んでいないのかと思ってしまいます。これが「減災」をあまり使いたくない最初の理由です。

もう一つの理由は、「減災」という言葉が国民をミスリードする可能性がある点です。防災の定義を知らない人々は、漢字の意味から防災は事前の抑止対策のみと考えます。そして、「防災から減災へ」のような言葉を見ると、「防災」は事前、「減災」は事後にウエイトがあるように感じます。しかし、先ほど説明した「国難的な災害」は、事後対応のみによる復旧や復興が難しい規模の災害ですから、災害対策としてより重要なのは、発災までの時間を有効活用して、主として被害抑止力を充実させることで、発災時に発生する被害の量を復旧・復興が可能なレベルまでダウンサイズすることです。しかし、「防災から減災へ」という言葉は事後対応のウェイトを大きくするように国民に伝わってしまい、これはミスリードなのです。これが、減災を使いたくない2つ目の理由です。

上記のような点を背景として、災害対策基本法に欠けていた「より良い復興」対策までを加えて、私は、先ほど説明した「総合的災害管理」という考え方を提案したのです。「事前の3つの対策」と「事後の4つの対策」を合わせて、被害を最小化するとともに、災害発生時を被災地の問題解決の機会として捉えて改善をはかろうということです。海外での講演でもよくこの話をしますが、この考え方はむしろ海外の方が受け入れてもらいやすい感じです。理由は、日本では「防災」という言葉が狭義の意味(事前の抑止力のみ)に誤解され、「減災」がそれを補う言葉のように普及してしまっているからかもしれません。

阪神・淡路大震災を教訓にして建物の強化はある程度進んできましたが、「耐震化率」を指標としたことで、本当に弱い建物が取り残される問題が発生していることはすでに説明しました。私たちがこれからすべきことは、「防災」の意味をしっかり理解した上で、高い災害イマジネーションを持つことです。インプットとシステムの関係から、アウトプットとしての災害の規模や様相は変わるので、インプットとしてのハザード、システムとしての地域特性、季節や曜日、発災の時刻を踏まえた上で、発災から(事前情報が得られる風水害では発災前から)の時間経過とともに、自分の周りで何が起こるのかを正確に想像する災害イマジネーションを持っていただきたいと思います。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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