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防災インタビューVol.212

メディアと防災

放送月:2023年4月
公開月:2023年7月

入江 さやか 氏

松本大学
地域防災科学研究所 教授

FMサルースで放送された音源をお聞きいただけます。

プロフィール

私は基本的には報道の世界で生きてきた人間です。大学を卒業後、読売新聞社に入社し記者になりました。長野支局、静岡支局を経て、1992年の秋から東京本社の科学部に所属しました。科学部の新人記者は「天変地異担当」という、地震や台風などの自然災害の担当をする決まりがあり、そこで初めて災害と関わることになりました。災害担当の記者として、1993年の釧路沖地震や、北海道の奥尻島が津波に襲われた北海道南西沖地震、それから1995年の阪神・淡路大震災などの災害を取材してきました。その後、もっと災害のことを勉強したいと思い、アメリカの大学に留学しました。

ところが、渡米した年の1995年、マイクロソフトのMicrosoft Windows 95が発売され、留学先のシリコンバレーはインターネット熱に湧いていました。これに影響を受け、一度は現地のベンチャー企業に就職しましたが、うまくいくこともいかないこともあり、1997年に帰国しました。その後、コンサルティング会社でも働きましたが、記者に戻りたいという思いがあり、2000年3月にNHKに入局し再び記者に戻りました。

その後、NHKでも社会部の災害班や報道局の災害気象センターなどで災害報道に関わることになりました。2008年に起きた中国の四川大地震や、皆さんもよくご存じの東日本大震災、それから2016年の熊本地震、2019年の台風19号や西日本豪雨などの被災地での取材の他、災害報道の機能強化などに取り組んできました。2022年3月に定年退職をする前は、NHKの放送文化研究所で、「災害時の情報発信はどうあるべきか」という調査研究をしていました。

現在は、松本大学の地域防災科学研究所で地域防災を支える若い人材を育成しています。

メディアと防災の歴史

災害をめぐるメディアの歴史についてお話しします。皆さんは、今年2023年はどんな年かご存じでしょうか。実は、ちょうど100年前の1923年というのは関東大震災が起きた年で、2023年はちょうど100年の節目になります。関東大震災を抜きにしては日本のメディア、特に放送の歴史は語れません。関東大震災は、皆さんも大変な災害だったということをよくご存じかと思いますが、少しおさらいしてみたいと思います。この地震は、近代化した首都圏を襲った初めての巨大地震災害です。地震の震源地は神奈川県西部でした。地震の規模を示すマグニチュードは7.9、いわゆるマグニチュード8クラスの巨大地震です。それが私たちの今いるこの足元で発生しました。当時は今の震度の基準と少し異なりますが、神奈川県・東京都・千葉県・埼玉県が震度6の揺れ、神奈川県の相模や沿岸部、房総半島辺りは現在の震度にあてはめると震度7程度の激しい揺れになったと推定されています。東京や横浜では大規模な火災が起こり、亡くなった方、行方不明になった方は10万5000人に及びました。関東大震災の発生当時は、テレビはもちろんラジオもない時代で、いわゆるマスメディアは新聞だけでしたが、その新聞社も大変な被害を受けました。当時の東京市(現在の東京都)には新聞社が16社ありましたが、そのうちの13社は焼け落ちてしまいました。残る3社も電気や水などのライフラインが止まってしまい、取材はもちろん印刷や配達もできないという状態になりました。このような「情報空白」が起きた中で、たくさんの流言飛語、現在でいうデマやフェイクニュースが拡散して人が襲われて殺される事件が発生するなど、社会が非常に混乱しました。

一方その頃、アメリカやヨーロッパではすでに新しいメディアとしてラジオの放送が始まっていました。災害が起きた時に正しい情報を広く迅速に伝える手段があれば、社会的な混乱を防げたのではないかという反省から、関東大震災の3年後の1925年に日本でラジオ放送が始まりました。

その後100年の間、1959年の伊勢湾台風や1964年の新潟地震、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災などの大きな自然災害が起きるたびに、放送や新聞、あるいはインターネットなどの日本のメディアは変化・進化してきました。

※今回のインタビュー記事は、「FM salus」が過去に放送した「サロン・ド・防災」の内容を、一部改定して掲載しています。

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